2011-03-31

年度末の締切をクリア

いよいよ年度末。締切が(あ〜今月は何個も破ってしまったが)もう一つ。昨年開催した研究集会の報告書。これは外に提出しなければならないので、何とかして出さなければ。昨夜から書き始め、今朝も早起きして書く。仕事場に着いて、このために、地震前までやっていた、端末3台体制にようやく戻して、仕事を進める。

といっても、今日も計算機関連の仕事もいろいろ。ユーザ登録の件、震災復興で調達した、教員貸出用のノートパソコンの件など。そんな中、昨日調達した3台のパソコンのうち、1台が、急きょ雑誌室で使うことになり、計算機室を旅立って行った。がんばれよ〜。

それから、今日、建設業者の方々が、フロアを回って、壁のひび割れの調査をして行った。自分の仕事場は大したことはなさそうだが、一応、幅 0.3mm 以上のひび割れは記録する必要があるのだそうで。

計算機室の方は、サーバ用のキーボード切替器のケーブルが届き、スタッフの院生さんに接続をやってもらう。おかげで、サーバラックの隣の机は、モニタとキーボードが1個減ってすっきり。おまけに、裏側の配線もきれいにやってくれた!ありがとう。せっかくなので、写真にも収めておく。

何度か中断しつつ、夕方、ようやく報告書が仕上がり、メールで送って一段落。ホッとしたついでに、先日移動した計算機室の、引っ越し元の部屋を確認。ほとんどの物を送って、ようやくこの部屋も無事今の役目を終えそう。

そんな中、残った古いワークステーション。教員用として使われてきて、近年は某先生の専用機(書斎?)と化していたが、実は、事情があって2台積み重なっている。上の方(キーボードのすぐ下)は、自分が大学院に入った頃の購入で、使用年数なんと15年以上!下の方も、12〜3年は使っています。上のワークステーションは、たしか、値段が100万円を切ったとか、話題になった機種ですが、15年動けば十分かな。本質的に必要な仕事のための能力は、このくらいで何とかなるのかもしれない。なお、計算機室最古参のこれら2台は、今度、昨日導入の新しいマシンの1台に機能を引き継ぐ予定。

そして、今日の計算機室。昨日全景を載せなかったので今日撮ったが、だいぶ片付きました。

昨日3台あったパソコンも1台減って、すっきり?した感じ。

さて、締切を1つクリアしてちょっとくつろいでしまったが、まだまだいろいろあるな。でも明日はインストール大会といくか?ではまた明日。

P.S. 大学から、入学式の日程が発表されました。場所は「陸上競技場」、青空入学式です。

2011-03-30

SLの写真

昨日、先生にいただいたSL、早速写真に収めてみました(今撮らないともう二度と撮らなそうなので・・・)。

このSLは、国鉄 D51(ディーごじゅういち)型蒸気機関車(略称:デゴイチ)です。貨物列車のための機関車で、日本のSLで最も有名なものの一つです。以上。くらいが私の持ち合わせている知識ですが、もっと知りたい方は、たぶんインターネットにいくらでも情報が載っていると思いますのでどうぞ。

この模型は、ホンモノの D51 を生産し、現在も、新幹線など、数々の鉄道車両生産等の事業を手掛ける代表的なメーカーの「日本車両」が、鉄道グッズを企画・販売する「日車夢工房」で企画され、これまた日本の鉄道模型メーカーの雄である「カツミ」が製作したものです。縮尺は45分の1、軌間(レールの幅)24mm の「OJゲージ」と呼ばれるサイズです。現在は販売していないようですが、現在販売されている『「ばんえつ物語号」C57 180号機蒸気機関車』が、「普及型仕様」(アクションサウンドなし。すなわち、上位機種は音も出るみたいですね!)で 135,240 円となっていましたので、たぶんそのくらいの値段はしたのでしょう。

「OJゲージ」も、鉄道模型としてはやや大きめの縮尺で、鉄道模型は、時代とともに小型化が進みましたので、今でもこの値段ですから、昔はもっともっと贅沢な趣味だったのだろうと想像できます。ちなみに、今回この模型を下さった先生の研究室には、今から100年くらい前!のドイツ・メルクリン社製の鉄道模型のSLも鎮座していますが、サイズはこれよりももっと大きなサイズ(たぶん、1番ゲージくらい?)です。

細かい部品も、金属で忠実に再現されています。機関車の中を見たところ、モーターも入っているらしく、必要な設備を整えれば自走も可能と思いますが、何せこの大きさですから、レールを敷くだけでも一大事でしょうね。仕事場の整理がついたら、飾る場所でも作りたいところです。

さて、そんなに遊んでいるわけではなく、計算機室の方。今日は、昨日納品されたプリンタ等と同時に発注したマシン3台も届き、院生さんの助けを借りて梱包を解いた。あっという間に並びました。インストールや設定はこれから。2台は院生用、1台は教員用として使う見込み。

今日はこのくらいかな。本当は他にもやることはいろいろあるのだが、マシンを箱から出すだけでも一仕事なもので。ついでに、室内も昨日よりはだいぶ片付けたが、その成果の披露はまた今度。

ま、なかなか仕事がはかどらないので大変だけど、そんな中、新しい計算機室に来る人達が一様に「この部屋、いい雰囲気ですね」と言ってくれるのは嬉しい。単にマシンを使うのみならず、皆さんにくつろいでもらえればと思う。特に、数学の大学院生には、学年や分野を越えて顔を合わせる、談話室のような部屋があまりなかったものでね。

ハコをつくるところまでは自分の役割だったけど、その部屋を「育てる」のはこれから使う皆さんに期待したい。今度大学院に入る新入生の皆さんも、在学生の皆さんも、卒業生の皆さんも、ぜひ足を運んでみてください。

さてさて、帰りに校舎の裏のゴミ置き場、廃棄物品で一杯になっていました。年度末、いろんな仕事が目白押し。今日のマシンのインストール大会もその中にあるけど。ではまた明日。

2011-03-29

棚からボタもちならぬ、棚からSL

まず、あらためて、昨日引っ越しを終えた計算機室。だいぶ物が入って、部屋っぽくなった。もっとも、もう少し、片付けや、マシンの設定も必要。

今日から、いつもお世話になっている掃除のおばさんも、エレベーターを使い始めたらしく、昨日まで袋詰めのゴミが積もっていたエレベーター前のゴミ箱周辺もすっきりした。

それから、地震で壊れた同じフロアの水道管も、今日から復旧工事。

壊れた水道管はすでに取り外されていた模様(その後ろの黒い筒は私の傘立て。昨日からいろいろあってまだ水が入ったまま)。

天井裏には、水道管を外した部分が見える。ちょうどバルブの手前でやられたのかな。

その後、業者の方に話を伺ったが、学内で他にも何箇所も修理を進めているらしい。今は工事ががあまりに多いので、とにかく少しずつ進めるのみ、とのこと。よろしくお願いします。

そして、私も、締切は待ってはくれないので、地震以来初めて、自分の仕事場で仕事を始めることにした。とりあえず、机の上の書類をかき分ける。いまのところ、周りはまだ書類の山だけど。

昨日発注した計算機室関連の物品のうち、早くもプリンタとLCDモニタが納品。プリンタは院生スタッフの人達の協力を得て設置して動かす。ところが、LANがつながらないという。いろいろやっていたら、どうやらLANケーブルに問題があったようだ。アクセスランプもついているのに、参ったね。ま、別のケーブルで何とかなった。皆さんありがとう。

今回買ったプリンタ、沖データのものだが、そういえば昔も買ったっけ・・・と思い出した。OKI といえば、20年近く前に、MICROLINE シリーズの PostScript プリンタで一世を風靡したものだった。それで、自分が大学院に入った頃に、計算機室でプリンタを買う際、それに引かれて MICROLINE の第2世代あたりを購入したら、トナーがこぼれるのか、印刷に黒い点々がたくさん出て、使い物にならなかったっけ・・・。OKI のプリンタはそれ以来だった。もちろん今のはちゃんと印刷できるけど、カラープリンタも10万円くらいで買えるし、コンパクトだし、PostScript 互換ってのもマニアックいや、UNIX や Linux でも便利そうだね。

そんな作業をしているうちに、水道管の工事も終わり、無事水道も出たようだ。よかったですね。

さて、今日最後の作業。夕方、いつもお世話になっている先生から「ネットワークがつながらないのだけど・・・」という連絡を受け、現場に急行。フロアのLANが集まるスイッチから、順番に導通を確かめ、最後に、先生の部屋のLANケーブルが原因と診断。LANケーブルを交換して無事解決。

そこで、先生が「照井君って、SLや列車は好きだっけ?」「はい(鉄チャンですから)。」「じゃ、今日のお礼にこれ・・・」をあげよう、と見せて下さったのが、何と、日本車両(「にっぽんしゃりょう」。昔からたくさんのホンモノの鉄道車両を製造している日本のトップメーカー)プロデュースのSLの鉄道模型ではないですか!何でも、今回の地震で棚の上から落っこちたのだそうだ。

たしかに、よく見ると、一部部品が曲がっている箇所もあったが、飾ればほとんど目立たない程度だし、プラスチックのショーケースも一部ヒビが入っていたが、角の部分だったので、後ろ側にすればほとんど気にならない。このクラスの製品だと、1両十ウン万とか、すごい値段だということは知っているので、本当にいいんですか?と伺ったが、「定年になると(先生は一応来年度末が定年)置き場所もなくなるし。モノの価値をわかってくれる人に譲る方がいいから・・・」というわけで、ありがたく頂戴してきた。まさに、棚からボタもちならぬ、棚からSLでした。ありがとうございます。一応、丁寧に箱詰めして頂いてきたので、写真はまたあらためて。ではまた明日。

2011-03-28

民族大移動

民族大移動、といっても、計算機の話。震災そのたもろもろの廃棄備品の搬出作業を行い、ついでに計算機室の機能を、おととし末から1年余り仮住まいしていた部屋から、今度の新しい計算機室に引っ越す作業となった。

午前中、仮住まいの計算機室へ行き、ごみなどの不要物を部屋の外に出し、「持っていくもの」「残すもの」に分類してタグをつける。その前に、新しい計算機室にちょっと掃除機をかけたり、新規調達備品の調整を行ったり、先生方や院生さん達と情報収集(という名の休憩)をしたりしたので、ここまででお昼。

ついでに、同じフロアの同僚の方を訪ね、今回の震災の影響で廃棄するという書棚を1つ、譲ってもらう。私の仕事場にあったものと同じ機種で、私の仕事場では、今回倒れた書棚を廃棄すると、本のしまい場所に困る。というわけで、ひとまず同型の書棚を増やすというわけ。ただ、棚板は足りているが、棚板の留め具が足りないので、今後、調達しなきゃ。どうやって?ま、他の廃棄物品を観察したり(以下略)

そして、午後1時半、人も揃い、作業を始める。まずは、新しい計算機室の周辺の廃棄物品から。計算機室になる前、セミナー室として使われていた頃の古い机や椅子が放置されていたので、この辺を一掃。エレベーターに荷物を積むのは、なるべくたくさんの物を1回で詰めたい。これは、数学では「最密充填(じゅうてん)問題」と呼ばれていて、誰それ先生がこの問題の専門家、呼ぼうか!? などと冗談を言いながら、搬出を進める。ここは30分程で終了。

次に、仮住まいの計算機室の廃棄物品搬出だが、今日、昼前に、学科内の廃棄物品も総出で出すことが急きょ決まり、仮住まい計算機室と同じフロアにある、倉庫や「開かずの間」と呼ばれている?院生室の物品もあわせて搬出。その間、私は、計算機室内で、搬出の準備を進め、機器のケーブルを外したりタグを貼ったりする。

廃棄物品の搬出は皆さんにお任せし、今度は新しい計算機室に行って、運ばれてくる機材の受け入れの準備。まず机、ついで計算機や本やその他の荷物がどんどん運び込まれる。サーバ類はラックに収め、何とか一通り収まったかな。だいたい4時過ぎに作業終了。これで、2年がかりのプロジェクトも、ゴールにだいぶ近づいた、かな。

昨日までがらんとしていた計算機室に、一気に物が詰まった。これからぼちぼち整理し、動かしていかないと。院生の皆さん、先生方、ご協力ありがとうございました。

作業終了後も、なんとなく皆さんくつろいでいる様子。確かに疲れたもんね。自分も放心状態だった。こうやってくつろげるような部屋と感じてもらえると、嬉しいですね。

それから、この作業のさなか、今度卒業した学生さんが、学位記を受け取りに来たついでに、私のところに立ち寄ってくれた。ミンさん、わざわざありがとう。ばたばたしていてごめんなさい。筑波は必ず復旧するから(その頃はこの計算機室もきれいになっていると思うので:-)、また立ち寄ってもらえると嬉しいです。東京でのご活躍をお祈りします。

さすがに今日は疲れたネ。9時過ぎにムスメを寝かしつけ、今日の各方面へのメールを書き、これを書いたら11時だ。うーんこの先仕事は辛いなぁ。ここで寝て明朝だ。ではまた明日。

2011-03-27

久々のお風呂

今日は本当のお休み。午前中はお買い物。

地震以来、有事のために風呂にトイレ用の水をため、シャワーで済ませてきたが、水道も安定してきたようだし、ということで、久々にお風呂を入れることにする。午後、かみさんとムスメが、ムスメの本のお片付けをする一方で、自分はふろ場に置いていた井戸水取水セットを片付け、ふろの水を抜き、ふろ掃除。その後、おやつ、ムスメの自転車の練習を経て、ムスメと入浴。久々のお風呂は気持ちよかった。が、ちょっと仕事で焦りだしていて、てきとーに遊んで時間を使っているムスメを叱ってしまった。反省。ごめんネ。

夜、久々に成績つけに戻る。いい加減に出さないと。ようやく、計算機演習の成績をつけ終わる。明日には提出できるだろう。せっかく成績がついたのに、履修申請まだしてない人、早く出そうね(連絡しようかな?)。あと2科目。

明日は、計算機室関連の被災物品の運び出しや、計算機室の引っ越しの一部、物品調達の手続きなどが控えている。今週も頑張ろう。ではまた明日。

2011-03-26

折り鶴、メダル、通水作業

ゆうべと今朝、ムスメと折り紙で鶴を折った。自分も折り鶴を折った経験は滅多になかったので、折り紙の本を見ながら悪戦苦闘だったが、ムスメも結構頑張って自分で折っていた。

今朝は、折り紙の後、ムスメが「メダルをつくるー」と言って、折り紙を切ってメダル、というか、賞状のメダル版、みたいなものを作り、首にかけてくれた。最近、賞状も見たりして、文章もうまくなったなあ。しかも文面に「かんげきです」とあって、こちらも感激。相田みつをさんとはまた一味違う、楽しい筆運びだね。親バカです。

さて、午後は、仕事場で水道を通すという連絡があったので、昼食もそこそこに休日出勤と相成った。1時からということで集まったが、私がいる8階は2時半頃という連絡があり、それまで片付けの続きなど。

2時過ぎに専攻長の先生とお会いし、雑談。今後の大学の復旧方針に関する話を聞いたが、何だかなあ・・・という内容(詳しくはまたの機会に)。それから、新しい計算機室の整備方針など。

そんな話をしていたところ、2時半になり、学科の同僚の先生方や大学の施設部の方やビルメンテナンス会社の方がぞろぞろやってきて、8階の通水開始となった。ほどなく「漏水!」という声が聞こえ、何人かの人達が慌ただしく動き始める。見ると、例の、崩れかけた建物の継ぎ目のあたりから、水がしたたっている。

私も急いで、計算機室に置いていた自分の傘立てを持っていって並べる。それから、近くにあった空のゴミ箱、廊下に出ていた電気ポット、自分の部屋で使っていたトレイ・・・。幸い、漏水はすぐ収まり、周りの部屋への浸水もなかった模様。

その後、いろんな人が動き回り、結局、4時前後から、自分の仕事場でも水が出るようになった。流しちょっと汚いっすね。あとで掃除します。おかげさまで、自分の部屋は水が復活したが、水道管が破断した先の部屋は、今回復旧しなかったので、早期の復旧を望む。関係各位に感謝します。

明日はどんな日になるだろうね。ではまた明日。

2011-03-25

卒業式のない春

冒頭の写真は、今朝の筑波大学大学会館。本当であれば、お昼前、学群の学位記授与式が終わり、たくさんの着飾った卒業生が講堂から出てくるのを、在校生や家族の方々が迎え、サークル毎の声援や、応援団による宣揚歌「桐の葉」のかけ声が聞こえてくるはずだった。

直接指導した学生などはいなかったけど、個人的につながりのある人は何人かいる。1年生の時に授業を受け持ち、親交のあった人。留学生だが、4年間、筑波の地でよく頑張り、卒業式で総代を務める予定だったそうだ。あと、学部、大学院(修士)時代の同級生。社会人になってから学位取得を目指した。私もちょうど論文博士で学位取得を目指した時期に、お互い励まし合い、彼もめでたくこの春学位取得の運びになった。今回、いろいろな状況で、卒業式を日程通りに開けないのはよく理解できるのだが、やはり「残念」の一言に尽きる。

一方で、震災のニュースを見ると、数々の困難の中で、卒業式を迎えられる涙、卒業式を目前に尊い命を落とした涙、あるいはいまだに卒業式の見通しが立たないという人もいるかもしれない。もちろん、日本中、たくさんの人達が卒業を迎えていることだろう。筑波では、残念ながら卒業式のない春になったけど、ささやかながら、卒業を迎えるすべての人に、お祝い申し上げます。

さて、地震から2週間になるが、ようやく、自分の仕事場の復旧作業を本格的に始める。以前、コマ切れのお仕事で、お勉強を朝の最初に持ってきていたように、今朝は復旧作業から始めた。入口のすぐ左側にあったファイルキャビネットをとりあえず窓際に待避させ、地震で落ちた書棚を、上段、下段とも並べて設置する準備をする。

ところが、新たに書棚を置く場所の壁に、電話と電源のコンセントがあり、ここから部屋の電源の一部も取っていたので、まずは、電源配線を一部変えよう。というわけで、サーバを一旦落とし、配線を変えて、サーバの電源を入れたら・・・え、起動しない!? というわけで、電源をブチッと落とし、再投入したら、何事もなかったかのように起動した。ほっと一安心。

ファイルキャビネットを移動し、周りを掃除したところで、今日の作業は一段落。また来週も頑張ろう。

お昼から午後にかけては、院生用サーバの運び込みやインストール、加えて計算機管理のファイル類の引っ越し。午後は、メールサーバ引っ越しの案内文書の作文。本来、この文書を最初に出すはずだったが、地震の緊急措置で、最後になった。緊急措置に合わせて文章を手直し。

帰り、校舎の裏手を見ると、廃棄物の山が数日前より大きくなっている。明日、仕事場の水道を通すとの連絡が入り、立ち会いのため、明日は昼過ぎに出勤の予定。ではまた明日。