2011-05-30

外へ、外へ

今日は、大学と大学院の同級生で、一時期同僚でもあった友人が、非常勤講師で授業をしに来るというので、ランチをご一緒した。

彼は、現在、ある省庁の研究機関に勤めており、地震からしばらくの間、その省庁の政策判断のための基礎資料作りに参加していたらしい。彼の作ったデータは、庁内の多くの人が参考にしたようなので、重要な責務を担っていたと思うが、特に地震発生直後は大変な仕事だったと思う。彼の努力に敬意を表したい。彼曰く、ただ、こうした仕事って、研究者としてはあまり評価の対象にならないんだよねー、という意見は同感。

それから、今回の地震への対応も含め、研究者として、外向きの姿勢が大切、という話で盛り上がった。

数学もそうだが、大学の研究者は、意識していないと内にこもる傾向があるだろう。分野によってこの傾向は差があると思うが、特に数学は、1人で考える時間が長いため、その傾向が大きいと思う。それ自体は、学問の特色でもあるし、悪いことではないのだが、他の人と一緒に仕事をしたりすることにより、自分の仕事の幅をより広くする可能性が生まれる。

そのためには、自分から積極的に外に出て、自分をアピールするのが大切。関連分野の研究会で発表するとか、他分野で一緒に仕事をする機会を得た相手の人と積極的にディスカッションするとか。

自分も、ここ2年くらいは、以前より自分を「売りこむ」機会を増やすよう心がけているが、彼の活動は多岐にわたっていて、話を聞きながら、なるほどなー、と感心。

あと、大学もそうだが、研究者になるための修業は、ある種の徒弟制度ともいえる。ここで、師匠からいかに独立できるか、というのも、その後のキャリアを積み上げる上で大切。

研究の始め方もいろいろあって、本当にできる人は、自分でさっさと自分の研究の種を見つけて仕事を始めてしまうので、そういう人は、師匠がいてもいなくてもほとんど関係ないと思うのだが、自分なんかは、最初は右も左もわからず、ただ漠然と研究の世界にあこがれて入ったので、最初は師匠の路線に沿った仕事をしながら、研究の進め方、論文の書き方、研究発表のしかたなどを学ぶ。

そのうち、いつかは独立して1人でやっていかなければならない時がくるから、自分でネタを仕込もうと試行錯誤するわけだが、師匠にもいろいろなタイプの人がいて、自分の路線と違ったことをされるのを好まなかったり、自分以外の(外部の)人と一緒に仕事をされるのを好まなかったり、ということも起こったりする。毎日近くで接しているので、弟子に対する抵抗感もより強かったりすることもある。でも、それをはねのけて自分の道を通すくらいの度胸がないと、自分の道を確立する道は険しい。師匠の後を追っても、研究は先細りになるんじゃないか、という話もした。自分の道を作っている人は、外の人達とも交流があるし、仕事の幅も広がっている。

もちろん、自分が知っている先生方の中にも、お弟子さんの話を聞くたび「こういう指導ができるようになりたいな〜」と思うような指導をされている先生もいる。

自分も、気をつけていないと、将来弟子ができたときに、つまらない事をしてしまうかもしれない。なるべく、この種の自尊心は捨てて、弟子には、さっさと他のいろんな人達と興味深い仕事を進めてもらうように、外向きにしむけることを忘れないようにしよう。そのためにも、まずは自分が外向きになろう。

自分もそろそろ若手を卒業する年頃だが、これから、研究者として、教育者として、どうなりたい?ということを考えるきっかけになった気がする。貴重なひとときをくれた友人に感謝したい。ありがとう。

さて、それではいろいろたまった宿題もしないとね。がんばろう。ではまた明日。

2 件のコメント:

早咲 さんのコメント...

 師匠がいたのか、いいなあ(^-^)

 師匠の仕事を引き継ぐ弟子は、1人~数人で十分ですよね。みんなでやったらネタがなくなるのはその通り!
 昔会ったコロイドの先生が、「オリジナリティというものはない、個性は履歴で作られる。」というようなことを述べられていて、その通りだと思いました。ほかの分野の勉強をすることで、面白い発見があるかもしれないと思うと、楽しみですね。

Akira Terui (照井 章) さんのコメント...

> 師匠がいたのか、いいなあ(^-^)

というところを見ると、早咲さんもいろいろあったのかな。
今の自分にとっては「いた」という、過去形ですかね。
いたことは確かだし、いろいろ恩義もありますが。
(いや、師匠は今も健在です。師匠との関係において。)

「個性は履歴」というのも、うなずけます。そう思うと、これから先の時間を考えるとのんびりばかりしていてもいられない気もしますが、とにかく、未知への興味を楽しみながら、ネタ作りに励みたいと思います。