2011-05-23

新旧交代

今日は、朝のお勉強の後、さて何から手をつけるかなーと思ったところで、日頃からお世話になっている某先生が訪ねてくる。ワークステーションの引っ越しの件で・・・

計算機室の教員用のワークステーションを、計算機室の引っ越しに合わせてマシンも新旧交代させる準備を進めており、先週の金曜日にファイルをコピーしたりしてあとは仕上げ・・・というところまで持ってきていた。実はこの先生がマシンのメインユーザだったりするのだが、以前から引っ越しをお待たせしていた。せっかくの機会なので、すぐに仕上げをすることにして、計算機室へ向かう。

お昼をはさんで1時間半くらいで、先生の作業環境(主に文書書きの環境)が、編集から印刷まで何とか一通り収まり、この作業終了。

そして、昼食の後、古いマシンのところへ出向き、周りの書類などを掃除して、ひっそりと引退式を行った。今や計算機室の最古参かつ唯一残ったワークステーション。

このマシン、いつから動いていたかというと、1995年、私が大学院に入った年の初めかその前の年末くらいだったと思います。ですので、16年間、停電時以外はノンストップで動いていたことになる。修理歴もなし。今のパソコンだと(今のでなくても)ちょっと考えられませんね。

当時の値段は「ワークステーションで100万円を切った!」と売れた機種だったという記憶がある(実際の定価は99万8,000円とか)。100万円でどれだけの性能だったかというと、メインメモリが32MB、ハードディスクが300MBくらい?外付けのディスクもせいぜい1GB。これで数十人の教員のデータをまかなっていた。同じ機種は同時期にあと2台ほど計算機室に入り、そのうち1台は院生用のサーバになり、先輩方と徹夜でインストール大会、もう1台は研究室のサーバで、こちらもインストール大会、と、ほぼすべてのマシンにかかわったというのもなつかしい思い出。なぜ今まで動いてきたかというと・・・ま、論文や書類を書く程度なら、この程度の性能で間に合うということですね。それにしても、頑丈だった。これまでの働きに感謝。ありがとう。

そして、交代した方のマシン。お値段は、本体とディスプレイ合わせて10万円、メインメモリが4GB、ハードディスクが300GB。ディスプレイも広くなったし、動きも速いし、電力も食わないし、まさに隔世の感ですね。インストールも、昔のマシンなら3日かかったであろう分量が、1時間半程度で終わる。やっぱり学生の頃は暇だったんだろうな(その暇をもっと勉強に使えばよかったと思う時もしょっちゅうだけど・・・)。これからよろしく。

古いマシンのシャットダウンの後、新しいマシンの設定を変えたり、マニュアルを残したりして、今日は夕方、仕事場の時間は終了。ちなみに、朝のお勉強は、先週以来悩んでいたトラブルの原因が見つかって一山越えたが、次の山。また頑張ろう。ではまた明日。

4 件のコメント:

i.k. さんのコメント...

Euler引退ですか…….というか,eulerってS々木先生がいつも向かっていたやつですっけ?
1995年から今に至るまでノートラブルとは,すごいです.お疲れ様です.

Akira Terui (照井 章) さんのコメント...

こちらのマシンはn藤先生が、地震の直前までほぼ書斎にしていました。ssk先生のマシンは別ですが、同型機種で、やはり数年前まで動いていました。
数学系に残ったSPARCマシンはこれが最後だと思うのですが、歴史の証人として保存しましょうか?思案中です。

i.k. さんのコメント...

そうでしたね,私がいた頃は,ssk先生はEuclidを酷使しておられたような記憶があります.

つらつら思い出してみると,Abel, Pascal, Fermat, Euclid, Euler, Galois, Fourier, Sekiなどは記憶に残っていました.HP-PAがあったと思いますがhost名は思い出せませんでした.Gaussは,ありきたりすぎるんだったか,Princeton大かHarvardか,どこか有名大学のサーバ名になっているから遠慮する,だか言う理由で使われてませんでしたね.

あと,外付けハードディスクにラソーダって名前ついていたような.アメリカの球団の監督?

場所があれば保管できるとよいですね.

Akira Terui (照井 章) さんのコメント...

コメントありがとうございます。日記の写真、実はマシンが2台重ねてあって、上が euler (SS5)、下が borel (SS20) です。ssk先生愛用のマシンはborelの同型機ですね。

2台重ねたのにはわけがあって、計算機室の仮住まいで euler だけ動かしていたのですが、n藤先生のリクエストで、platex が euler では動かなくて、borel では動いたので、後から borel を引っ張り出してきたというわけです。

HP-PAは統計の先生が入れて bayes という名前でしたっけ。あと gauss は、DEC Alpha のマシンが入ってこれにつけたと思います。

ラソーダは、2代目 abel (SS ELC) の外付けでしたが、調子が悪くなって引退した時に、ちょうどその頃野茂英雄投手がいたドジャーズのラソーダ監督の引退が重なって「ラソーダ」とにわかに呼んでいた記憶があります。3GBで100万円という、破格の機械でした。廃棄の時に、事務手続きで証拠写真も撮りました。ポラロイドカメラでした。

と、思い出してみると、なつかしいですね。