2005-08-19

旧岩崎邸庭園を訪ねて

前回の予告通り、この日はかみさんとお出かけ。行く先は上野の旧岩崎邸庭園。三菱の岩崎家の本邸として建てられた建物と庭園だ。

一昨年から一般公開が始まったとのことで、最初かみさんから話を聞いたときは「ふ〜ん」程度に聞いていましたが、あのコンドルが設計したと知ってがぜん興味がわいてきました。

本邸の建築は1896年。本邸の洋館を設計したジョサイア・コンドルは、明治期のいわゆるお雇い外国人の1人で、日本の洋館建築の先駆者といえる人です。この岩崎邸以外にも、鹿鳴館や東京帝室博物館等、多数の建築を手がけたのみならず、工部大学校(現在の東大工学部)で、辰野金吾(東京駅を設計)、片山東熊(東宮御所、現在の迎賓館を設計)といった第一人者達を育てました。そんな建物を見に行くというのですから、これはぜひ見ておかなければ。

門を入ったらゆるやかな坂を上る。洋館はwebでもいろいろ紹介されていますが、入ってみると、床から天井までの重厚な造りに驚く。あちこちの部屋やホールに暖炉がある。使うのもお手入れもさぞ大変だったことでしょう(お手伝いさんが必要!)蒸気暖房のラジエーター(本体のプレートを見るとアメリカ製。古い)も、つる草の模様入りで、自分が中学や高校時代に学校でおなじみだったものとは違い過ぎ。

洋館の内装はぴかぴかに磨き上げられていましたが、ここまで復元するのには大変な苦労があったのではないかと思います。洋館の隣に建っている撞球(ビリヤード)室もあったのですが、こちらの方はまだ壁の木目も白っぽく汚れており、壁紙もかなり色あせていました。復元前といった感じ。中を見ることができましたが入ることはできませんでした。

もう一つ、興味深かったのは、洋館とつないで同時期に建てられた和館。洋館が、主に当主の仕事場とお客さんをもてなす場として機能していたのに対し、和館の方は岩崎家の家族と使いの人達の生活の場だったようです。惜しむらくは一部を残して現存していないこと。建築当時の和館は底面積で洋館をしのぐ大きさだったのだが、特に取り壊された部分は彼らの住まいがあったようで、もし残っていたら、当時のお屋敷の造りや生活様式を知る上で興味深い手がかりになったことでしょう。

見学後、和館の軒先で休憩しましたが、緑に囲まれているためか、暑い日差しにもかかわらずさわやかな風が吹き抜けていきました。庭先でスズメが砂浴びをするのを初めて見ました。

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