2010-10-03

古文書、ブランデー、高原の村へ移動(9月7日)

アルメニアの日記、帰国からずいぶん時間が経ってしまいましたが、一応、忘れずに書いています (なかなか時間がとれないもので... ^^;) 2日目の分です。


本日から、会議の日程が始まりました。今日の会議は、国立科学アカデミー (National Academy of Science of Republic of Armenia) と、今回の会議を招聘した国立情報学研究所 (The Institute for Informatics and Automation Problems) の表敬の意味合いが強かったような気がしますが、アルメニアの計算機科学事情を知る上では貴重な機会になりました。

今日は、実質的な会議の開催地(後述)へ移動するため、朝、荷物をまとめて皆でマイクロバスに乗り、ホテルを出ます。エレヴァンの道路は結構車で混雑しています。

それと、写真に写っている信号機にちょっと見えるかもしれませんが、エレヴァンの信号機には、車両用、歩行者用の信号それぞれに「青の時間があと何秒」を示すカウントダウンの表示が、私が見た限りほぼすべての信号機についていました。昨年、韓国のソウルを訪問した際、歩行者用の信号機に同様のカウントダウン表示を見ましたが、エレヴァンはより徹底して興味深かったです。交差点によってはすぐに信号が変わるところもあったので、私のようなよそ者には便利ですね。

科学アカデミーに着き、中に入ります。私のカメラのレンズには収まりきらない大きな建物です。会議のレジストレーション(参加登録)を行い、名札やら予稿集やらバッグやらといった、必要なものを受け取りました。

参加者のうち、昨日日中までにエレヴァンに着いた人達はホテルに泊まりましたが、昨夜から今朝にかけてエレヴァンに着いた人達とは、ここで合流です。

科学アカデミーで会議を行った部屋の様子。大きな円卓のある、天井がドームのように高い部屋で、普段数学の会議をやるような部屋との格差(もちろんこちらが拡張高い!)に、同行の人ともども、ちょっと戸惑います。

プロジェクタのスクリーンは、ちょうど部屋の入口の上に位置しています。講演が始まってからの出入りは、ちょっと勇気が要りますね。

本来であれば、会議の内容も詳しく書きたいところですが、今はとりあえず先を急ぎましょう。科学アカデミーでは、招待講演として、アルメニアの計算機科学分野の研究について、歴史やこれまでの主要な研究成果、現状に関する話がありました。

招待講演が終わると、科学アカデミーを後にして、次は国立情報学研究所に向かいます(バスから撮ったので、バスのサングラスの青色が写っています)。現地の人によると、現在の建物は、1970年に建てられたのだそうです。自分とほぼ同い年だ(私は1971年生まれ)、と言ったら笑っていました。

こちらでは、研究所の先生方から、研究所の沿革や、現在の研究分野についての説明がありました。昨今「グリッドコンピューティング」が世界的に盛んになっていますが、アルメニアでも、自国やEUなどの資金援助をもとに、グリッドのネットワークを構築しているようです。

さて、今日のお勉強はこんなところでおしまい。研究所で昼食の後、まずはマテナダラン (The Matenadaran, 国立古文書館) へ行きました。玄関に座っている人物(像)は、聖メスロプ・マシュトツ (St. Mesrop Mashtots) で、アルメニアの文字を作った人です。

ここから坂を上って建物に入ります。

建物は小高い丘になっていて、玄関前からは周囲を見下ろすことができます。

さて、もともと「マテナダラン」は、アルメニア語で書かれた写本を保管する建物の一般的な呼び名で、主にアルメニア周辺の地域にたくさんあったものですが、近代以降、国レベルで古文書の収集が進み、第2次世界大戦後に、国立古文書館になったということです。

今回は、ロシア語のガイドと英語のガイドの2グループに分かれて、中の展示品(写本)を見ました。たくさんあって写真に撮りきれませんでしたが、以下、一部を紹介します。

薬草に関する書物。ハーブのたぐいのようです。キャプション(字幕)がピンぼけですが、18世紀頃の本のようです。

アルメニアの音楽に関する書物。キャプションによると、13〜14世紀の本のようです。

同じく、音楽に関する書物。音階などが書かれているものでしょうか。

...と、ここで、私のカメラの電池が切れてしまいました!昨年、バッテリーを買い替えたのですが、何せ、何世代も前のカメラですので、100枚くらいが限界のようです。というわけで、今日の残りの写真は、携帯電話によるもので、ピンぼけ手ぶれ出まくりで恐縮ですが、引き続きご覧下さい。

展示品には、アルメニアの古文書の他、外国の元首から贈られたような、各国の貴重本もありました。日本語の本で展示されていたのが、1812年の「北斎漫画」。

さて、マテナダランを出て、次に向かったのが、アルメニアのブランデー工場として有名な「エレヴァンブランデー工場 (Yerevan Brandy Company. トップページでは、あなたがその国で飲酒可能な年齢に達しているかどうか尋ねられます。webサイトを進むと音が鳴るので注意)」です。

アルメニアに行く直前の下調べで初めて知りましたが、ブランデーはアルメニアの名産品の一つです。かつては「アルメニア・コニャック」とも呼ばれましたが、現在「コニャック」は、フランスのしかるべき地域でしかるべき工法で造られたもののみが名乗ることを許されているそうで、現在はアルメニア・ブランデーと呼ばれるのが一般的のようです。そして、これから訪ねる工場(会社)が、アルメニア・ブランデーの最大手です。

ここでは、女性のガイドさんが、工場の中を案内してくれました。ブランデーは、ぶどうの果汁を発酵、蒸留した原酒を、何種類かブレンドし、樽の中で熟成させることで作られます。ここのブランデーは、発酵や蒸留の工程は、エレヴァンとその周辺の地域で行っていますが、ブレンドと熟成の工程は、この工場のみで行っているそうです。

生産量は、2008年が(750ml換算?)約1,200万本、その後世界的な経済危機により、2009年は約900万本まで落ちましたが、今年は生産量が上向いているとのことでした。生産量のうち、9割以上が輸出されるそうです。

アルメニアは隣国のアゼルバイジャンと領土に関する問題を抱えていますが、こちらは、アゼルバイジャンとの紛争の停戦を記念して作られた「平和の樽 (Peace Barrel)」です。訪れた人達がたくさんサインをしていっています。アルメニア国内で唯一、アゼルバイジャンの国旗が掲げられている場所とのことでした。

工場の奥にあるのが「VIPのmy樽」の列です。ここには、各国の要人や芸術家などの、個人の樽が収められています。一度樽に入れられた原酒は、所有者本人(生前)、家族や遺族の立ち会いのもとでのみ、ブレンディングや試飲がされ、それ以外の時は厳重に保管されます。

これらのmy樽の中で最も有名という、ロシアの故・エリツィン元大統領のmy樽です。

そして、この列の一番奥には、工場で現存する最古の樽がありました。ガラスのケースに入った2つの樽は、1902年に仕込まれたものだそうです。今年で108年もの。

その樽のそばには、昔の事務机の再現とおぼしきセットがあり・・・

その机の上には、日本の「タイガー計算器」とそっくりな、手回し式卓上計算器がありました。旧ソ連製でしょうか?

さて、樽の蔵の見学が終わりますと、次は資料室みたいな部屋へ。

部屋の一番奥の机の上にある瓶、これは、先程見た、工場最古の樽から取り出したブランデーだそうです。今年で108年もの。品質には問題ないそうですが、味はどんな感じでしょうか。

部屋の中程にあるキャビネットには、この工場に残る歴代のブランデーが飾られています。

その中にあった1本。第2次世界大戦末期に行われたヤルタ会談で、イギリスのウィンストン・チャーチルが、ソ連のスターリンからアルメニアのブランデーを勧められたところ、その味にいたく感動し、以降、毎年400本とか、毎日1本飲めるだけの本数がチャーチルのもとへ送られたという話がありましたが、これが、チャーチルに送られたのと同じ "ドゥヴィン (Dvin)" というブランドのボトルです。

案内の人によると、チャーチルに送られた本数は毎年360本と言っていました。あと、もう一つ聞いたエピソードでは、チャーチルにブランデーを送っている期間中に、工場の主任ブレンダー(ブランデー調合の責任者)が収容所送りになり、ブランデーの味が落ちたことに気がついたチャーチルが、スターリンにその理由を尋ねたところ、スターリンからは「主任ブレンダーがシベリア送りになっている」という答えがありました。そこで、チャーチルが、ぜひブランデーの味を元に戻してほしいとスターリンに頼んだところ、その主任ブレンダーはあっという間に収容所から釈放されて工場に戻り、勲章まで授けられたということです。

さて... ブランデー話が延々続いてしまってすみません(まだ続きます)。工場見学の後は、試飲タイムとなりました。3年もの、10年もの、20年ものを試すことができました。

3年ものは、もちろんおいしかったですが、アルコールの刺激が強い、いわゆる「若造り」という印象がありました。これまでに飲んだことのあるブランデーとも似た感じです。しかし、10年ものは、そのような刺激がなく、私がこれまでに飲んだブランデーにはないまろやかさで、非常に驚きました。そして、20年ものになると、もっとまろやかさが増していました。当初、おみやげに買うのは3年ものくらいかなあと思っていたのですが、この試飲で10年ものに変更。20年ものは、さすがに値段が高そうということと、あまりにもまろやかですいすい飲み過ぎそうなので・・・

ちなみに、隣に座っていたドイツの若い人は、1滴も飲んでいなかったので「飲まないの?」と尋ねたら「うん。やっぱりビールが最高」との答えでした (^^) そこで、こっちはブランデーを飲みながら、ドイツのビールの話で盛り上がったりして・・・

試飲の後は、お約束のお買い物です。私は、自分の実家、かみさんの実家、そして自宅用に、10年もの (「アフタマール (Axtamar)」というブランド) 250ml の小瓶を3本買いました。1本 5,000 AMD (アルメニアの通貨:ドラム)、日本円で1,000円ちょっとでしょうか。日本で買うと(そもそもアルメニアのブランデーを見かけたことがないのですが、webの情報で)500mlで6,000円前後のようですので、かなりお買い得感がありました。

そんなわけで、お買い物も終え、ブランデー工場を後にした私達は、会議の本格的な開催地である場所に向かいます。エレヴァンから50kmほど離れた、ツァカゾール (Tsakhkadzor) という村です。事前に得た情報 (村のホームページ) によると、小高い高原にあり、スキーのリゾート地として知られ、云々・・・といった感じですが、Google Maps でも道路は1本しか描かれておらず、どんな場所か実感が湧きません。

高速道路でエレヴァンを出ると、エレヴァンも標高1000mくらいの高原にあるわけですが、どんどん上り坂を登っていきます。道路の周囲は四方、なだらかな大地で、はるか向こうに山が見えます。

こんな景色が延々と続きます。

日本の風景と比べていちばん奇妙だったのは、視界の奥に広がる山や大地に、木がほとんど生えていないことです。茶褐色のはげ山、もしくは、鉄道模型のレイアウトを作る際に(自分は実際に作ったことはありませんが)、木を植える前の状態の山、といった感じでしょうか。

... と、急な上り坂を登っていたら、だんだんバスのスピードが落ちてきて、止まってしまいました!故障したのでしょうか、ガス欠?エンジンがまだかかっているからガス欠ではなさそうだけど・・・アナウンスもないし、乗り込んだ私達はそれぞれ話し続けています。ま、きっとどうにかなるでしょう!バスが動かなくなったら迎えのバスを呼ぶかもしれませんし、まだ日没までは間がありそうなので、何とかなるだろう・・・と開き直れるあたりが、日本とは大分違う感じでおもしろいです。日本ではきっとこうはいかないだろうな・・・と。

そう思っているうちに、バスは威勢のよいエンジン音をあげて再び走り出しました。といっても景気がいいのは音だけで、たぶんギアを1速で走っているのでしょう、スピードはほとんど駆け足程度です。上り坂が続いて息切れという感じ。先の道を見ると、上り坂が途切れていて、間もなく峠のようです。それ、あと少し・・・と祈る気持ちで前を見ていたら、ようやくバスは峠を越えて下り坂に入り、今度はさっきの調子がウソのように、びゅんびゅん飛ばし始めました。

そうしているうちに、高速道路を降り、一般道で山に入り始めました。住宅地を通ります。

そして、ようやく、会議&宿泊場所のホテルにたどり着きました。

ホテルにチェックインして自分の部屋に入りました。バルコニーからの外の景色です。ホテルは坂の上にあるようで、大変見晴らしがいいです。階下に村が広がっている感じです。はるか向こう、山のふもとにある白い固まりは、ふもとの街のビル群です。高速道路はあの近辺で降りて、山を上がってきました。

荷物を置いたら、早速ディナーということで、部屋を出ようとしたら、なんと部屋のドアの取っ手が壊れてしまいました!幸い、レセプションに連絡したら、係のおじさんがやってきて、すぐに直してくれましたが、ドアのネジ穴や金具のへこみ具合からして、このドア、それなりに具合は悪そうですね。ドアにちょっと同情します。なお、錠前は、先日ドイツで泊まったホテルと同じく、鍵を2回転させて施錠/解錠するものでした。

ドアを直してもらい、レストランに行ったら、皆さんすでに盛り上がり始めていましたが、ディナーでもいろいろな話で盛り上がり、気がついたら大分時間が経っていました。さっさと寝て翌日に備えることにします。

最後に今日の行程の記録を載せておきます。
より大きな地図で CASC 2010: September 7 を表示

2010-09-18

夜のエレヴァン(9月6日)

エレヴァン到着初日。なんせ昨日からほぼ徹夜状態ですので、とりあえず午前中ちょっと寝て、午後もホテルの部屋で休憩したり、到着までの記録を書いたりしていました。

今日は夜に歓迎のパーティーがあるとのことでしたが、午後にレセプション(フロント)から電話が入り、7時にタクシーが迎えにくるからロビーに集まれとのこと。6時過ぎにホテルを出て周辺をうろつきます。

町中の通りの建物は、全体的に、ピンクがかった茶色の石造りといった感じです。

その後、ホテルに戻ってロビーで待っていると、顔見知りの参加者の方々に次々と再会。挨拶して旧交をあたためます。

さて、10人程集まってタクシーに分乗し、いざ出発!と思ったら、タクシーが出ません。どうも、自分たちの前に止まっているタクシーが駐車違反で警察に捕まって、つっかえているみたい。10分かそこら待って、ようやく出発です。

タクシーは丘を登っていきますが、なかなか着きません。...と、運転手さんが車を停めて、道端のおじさんにレストランの場所を尋ねているではありませんか。以前「アルメニアのタクシーは時々道端の人に道を尋ねる」という情報を目にしていましたが、どうやらこれは本当のようです。前の席の参加者の人曰く「レストランが新しくて地図に載っていないらしい」。本当かどうかはともかく、タクシーはUターンして丘をちょっと下り、ようやく目的地のレストランに着きました。他のタクシーと皆さんはすでに着いていました。

歓迎パーティーの食事は、伝統的なアルメニア料理ということでしたが、最初はパンと前菜(生野菜やおそうざい、チーズなど)からスタートします。野菜や果物は驚く程日本のスタイルによく似ていました。特にトマトはそっくりです。キュウリは日本のより固くて乾いています。ウリ系の野菜が多く、ナスのいためものもあります。チーズは西欧並みにたくさん種類があり、どれもおいしいです。

前菜が一段落すると、肉料理が出ます。こちらも味付けは日本で食べる肉料理とそれ程大差ありませんが、ボリュームはあります。大体の料理が、大皿から各自好きなだけ取り分けるシステムになっています。場合によっては、メインの料理が2枚出たりして、量は非常に多いのがちょっとびっくりです。もちろん、好きなだけ取り分ければよいので問題はありませんが。

そして、デザートの定番は、スイカとメロンです。こちらも日本のものと非常によく似ています。甘みもたっぷりでおいしかったです。うちのムスメはスイカもメロンも大好きなので、もしこんな大皿を出したら、ごちそうさまをさせるのに非常に苦労することでしょう。あとは、紅茶かコーヒーが(希望に応じて)出て、おしまいのようです。

それから、食事の際のお酒はワインが標準的のようですが、こちらの赤ワインは非常に甘くてまろやかな味で、逆に白ワインは辛くてしまった味のものが多かったです。アルメニアはワインも独特のよいものが多いそうです。

さて、楽しかった宴も終わり、今度はホテルまで歩いて帰ることになりました。せっかくですので、エレヴァンの中心地を通って帰ることにします。

で、やってきたのが、エレヴァンの中心である共和国広場。広場を円形に囲むようにビルが建っています。これらのビル群、アルメニアがソ連の一部になった1920年代から建てられたのだそうで、最初に、アルメニアを代表する建築家アレクサンドル・タマニアンの設計によって、政府庁舎(写真左側、塔の上部に大きな時計のある建物)が建てられ、その後、彼の弟子達によって、同じようなスタイルで、広場を囲むようにビルが次々に建てられたのだそうです。

共和国広場では、音楽の流れる噴水もあり、夜10時過ぎでしたが、大勢の人達でにぎわっていました。子供達もたくさん夜ふかしです。

共和国広場を抜けて、数百メートルの歩行者道路を歩きます。ここも、大勢の人達でにぎわっています。通りに面したビルの数々、写真では、上層階の窓は明かりが消えているように見えます。

しかし、実は、明かりが消えているのではなくて・・・窓がないんです。内装もありません。つまり、これらのビルのほとんどが、建設が途中で止まったままなんです。通りに面したほとんどのビルがそうでした。同行したロシアの人曰く、一昨年からの金融危機の影響で、ビルの工事がストップしたままなんだとか。この後も、アルメニアでは、行く先々で、工事の止まったビルや家々を目にしましたが、首都の大通りで、いかにも豪勢な新しい石造りのビル群が工事が止まったままというのは、異様な光景でした。

さて、その通りを抜けると、オペラハウスの近くの公園にたどり着きました。公園にもオープンカフェがたくさんあり、この時間でもたくさんの人達が繰り出しています。

公園にあったのが、アルメニアの作曲家、アルノ・ババジャニアンの像です。私は初めて名前を聞きましたが、旧ソ連圏では誰でも知っているような大作曲家のようです。像全体は、写真の右側に、グランドピアノを象徴するようなレリーフが広がっており、本人の部分は、ピアノの鍵盤に向かっているかのようなポーズで、なかなかおもしろい作品でした。

そして、オペラハウスの周りには、アルメニアの作曲家3人の銅像があるとのことで、その中でも特に有名なアラム・ハチャトゥリアンを探しました。ハチャトゥリアンの名前は知らなくても、「剣の舞」と聞けばわかる方もいると思いますし、バンクーバーオリンピック冬季大会で、フィギュアスケートの浅田真央選手が演技に使った「仮面舞踏会」と聞けばわかる方もいるかと思います。

オペラハウスをぐるっと一回りしたら、ようやく、ハチャトゥリアンの像を見つけました。さすが、正面玄関前にありました。

近寄ってみるとこんな感じです。台座の文字は、彼の名前のアルメニア語の表記です。アルメニアのアルファベットはまだちょっと読めそうにありません・・・

さて、こんな感じで、最初の夜のエレヴァン観光は終了です。明日は会議とエレヴァン市内の観光を経て、会議のメイン開催地となる小さな村へ移動します。

追記 (10月3日): 今日、パーティーの後で歩いた部分の行程です。
より大きな地図で CASC 2010: September 6 を表示

2010-09-06

アルメニアへ到着

今回、仕事(国際会議)で、アルメニア共和国の首都エレヴァンに来ました。

アルメニアといいますと、吹奏楽ファンの方でしたら「アルメニアンダンス」という曲を思い浮かべると思いますが、そのアルメニアです。日本語の情報はまだかなり少ないと思いますが、それでもwebを検索すると、いろいろ書いている方もいらっしゃいまして、私も参考にさせていただきました。

会議は実質あすからということと、今日はまる一日の旅の後ということで、今日はホテルで一休みして、私が経験したアルメニア行きの情報をちょっと書きたいと思います。

まず、日本からアルメニアへの行き方について。いろんな情報を見ると、ロシア経由で行くのが多そうです。私は、Star Allianceの便を選んだら、オーストリア航空でウィーン経由となりました。

所要時間は、東京からウィーンまで約12時間、乗り継ぎに約5時間、ウィーンからエレヴァンまで約3時間といったところです。東京を朝出て、ウィーンに夕方に着き、エレヴァンまでは夜行で、朝5時前に着きます。

ウィーンでの買い物について。いきなりですが、私は(かみさんともどもですが)、以前オーストリアに行った時に Bailoni という、あんずリキュールにはまってしまい、日本ではなかなか手に入らなかったので、ウィーン国際空港の免税店でgetすべく策を練っていました。

ところが、日本からの飛行機も到着する、シェンゲン協定非加盟国用のターミナルは、免税店も小さく、品揃えもシェンゲン加盟国のターミナルの売店程はありません。そこで、1度ウィーンに入国してシェンゲン加盟国のターミナルに行き、そこでお目当ての物を買って、出国すればよさそうです。(「そうです」と書いた理由は後述)

国際線の液体の持ち込み制限に引っかからないかが心配だったのですが、売店の人に尋ねたところ、売店で買った品物に封印をしてもらい、非シェンゲン加盟国用ターミナルから、乗り継ぎなしで最終目的地に行く限りは、大丈夫のようです。先程「そうです」と書いたのは、まだ実際にやって確認したわけではないので、帰りにやってみます。

ウィーン国際空港のオーストリア航空ビジネスラウンジについて。エコノミークラスでも、当日の搭乗券を持ち、35ユーロ払うと、ビジネスラウンジが利用できます。支払方法はクレジットカードのみだそうです。オーストリア航空のホームページに情報がありました。

ウィーン国際空港は、ターミナル内全域で無線LANが無料で利用可能です。ビジネスラウンジでは、飲み物、スナック類、ケーキなどのお菓子、軽食を自由にとることができます。テーブルを使えるので、パソコンを使うには便利ですね。私がウィーンに着いた夕方はまだすいていましたが、夜になって大分混んでいました。

追記 (9月18日): 現在、ウィーン国際空港では、新しいターミナルの建設が進んでいます。ビジネスラウンジから見た、工事中のターミナルです。

エレヴァンへの乗り継ぎ。ウィーン国際空港のセキュリティチェックは、搭乗直前、各搭乗ゲートの手前にあります。

セキュリティチェックを通って、搭乗ゲート前の待合室に行きます。今回の便はほぼ満席で、同じスポーツウェアのユニフォームを着た、何かのチームらしき若い男性の一団もいました。

エレヴァンへの機内では、搭乗後すぐに食事が出ました。夕食というよりは夜食ですね。機内食を見越して夕飯はとらず、軽食ですませており、おなかがすいていましたが、おいしかったです。ただ、何せ眠かったので、あまり覚えていません。その後、1時間程爆睡すると、飛行機は間もなく着陸態勢に入りました。

エレヴァン・ツヴァルトノツ国際空港は、ターミナルが数年前に新しくなったとの情報を見かけましたが、たしかに今時の空港でした。

ターミナルからエスカレータを降りると、まず両替。(追記:9月18日)両替は、後述のビザをとるのにも必要です。

次に、たいていの外国人はビザが必要ですが、

入国審査の手前にビザの発給カウンターがあり、事前にビザを取っていなくても、そこで取れます。(追記/9月18日: 入国審査前のビザは有料だと思いますので、実際に取得される方は手数料をご確認下さい。)あと、e-Visaというのもあり、webですべて手続き可能なビザもあります(追記/9月18日: こちらは手数料の支払いにクレジットカードが必要です。)。今回私は、事前にe-Visaを取ってきました。

それから入国審査になります。

入国審査を無事通過すると、なぜか免税店を抜けて、

手荷物を受け取ります。あと、いくつかの携帯電話会社のカウンターがあり、外国人は、そこへ行ってパスポートを見せるとプリペイドSIMカードをもらえます。私は VivaCell-MTS のカウンターでもらいました。詳細は会社のwebページで確認できますが、私が手にしたのは "Alo We" という料金プランで、AMD 400(400アルメニアドラム)分の通話料がチャージされています。

手荷物を受け取ると、バゲッジクレームタグを回収されます。私のタグを回収した男性は気さくなおじさんで「お、日本人か。ヤクザか!?」と笑って刀をヒュッヒュッと振り回すまねをして、こっちも「いやいや〜」と笑って答えてました。その先は税関の申告ですが、大体の人は素通りのようでした。

最後、出口の手前で「タクシーは要るか?」と訊かれて、見ると、タクシー会社のカウンターがありました。ズヴァルトノツ国際空港のホームページによると、空港で営業を認可されているタクシーは唯一 "Taxi Tour" という会社のみだそうで、ここのカウンターがその Taxi Tour のカウンターでした。私は今回、別の迎えを確保していましたので断りましたが、過去にアルメニアに行かれた方の情報には「白タクは非常にしつこいので注意」という内容の記述がありましたので、タクシーが必要な人は出口の前で Taxi Tour に頼むというのが安心かもしれません。