2006-07-11

時効

私が大学に入った年に、学内で起きた殺人事件が、時効を迎えました。

筑波大助教授殺人事件:「悪魔の詩」殺人、時効 茨城県警「捜査は継続」

イスラム教の冒とくと議論になった小説「悪魔の詩」の翻訳者で筑波大助教授だった五十嵐一(ひとし)さん(当時44歳)が91年7月に殺害された 事件は11日午前0時、公訴時効(15年)が成立した。茨城県警の小野善弘捜査1課長は「極めて残念。(容疑者が海外逃亡した場合の)時効停止の可能性を 考慮し、今後も捜査を継続する」とコメントを出した。

五十嵐さんは91年7月11日夜、同県つくば市の筑波大構内で、刃物で首などを切ら れ殺害された。当時はイタリアなどでも翻訳者が襲撃され、04年末に米中央情報局(CIA)の元職員が五十嵐さんの事件を「イラン軍部による暗殺」と指 摘。容疑者が外国人で、海外に逃亡した可能性もある。【三木幸治】

毎日新聞 2006年7月11日 東京朝刊より引用

このときの思い出が2つあります。

1つ目は、この事件が起きる前の月に、五十嵐先生の授業を受けたことです。

授業の内容はすっかり忘れてしまったのですが、忘れられないのは、授業が始まって間もなく、私語をしていた学生に、ものすごいカミナリを落としたことです。「そこで何喋っているんだ、うるさい!」続けて「僕はオペラも書いて、指揮もするのだが、2ndバイオリンの下手なのが後ろの方でちょこちょこやっているのもちゃんと聴き分けるんだ(だからちょっとした私語もすぐに耳に入る!)。」

先生は、大学は数学科の出身でありながら、イスラム医学の文化の研究をされているとか、すごい経歴だと思っていたのですが、オペラを書いて指揮をするというのにまたまた驚いていました。(その他にも、後で聞いた話ですが、学園祭でロックバンドのボーカルを務めたとか、とにかく多才な人のようでした。)ついでに、このときカミナリを落とされたのが、同じクラスの友達で、事件の後「俺たち先生に最後に怒られた学生だったのかもね・・・」と、しんみり話していました。

もう1つは、この事件があった同じ日に私があった災難です。

その日の夕方、私は、宿舎の銭湯へ行きました。シャワー室(ユニットバス)は内側のドアの取っ手が壊れていて、中から閉めると開かない状態だったので、いつも気をつけて使っていたのですが、この日、シャワーをしようと入ったところ、何かのはずみでドアを閉めてしまい、中から出られなくなったのです。 仕方ないので、ドンドンドン・・・と、番台のお兄さんが来てくれるまでドアを叩き続けました。しかも、タオルは脱衣所に置きっぱなしだったので、お兄さんが開けてくれたときは恥ずかしいことこの上なく・・・

何とか風呂を終えて外へ出たとき、友達にバッタリ会いました。彼は開口一番「今日大学で殺人事件が・・・」と教えてくれたのは有り難かったのですが、こっちは「いやそれどころでなく今閉じ込め事件が・・・」と言いたい気分だったのでした(でも恥ずかしいので言えるわけがない)。

自分の(なさけない)事件があったから五十嵐先生の事件を覚えているのかもしれませんが、とにかく、筑波に来てからの時の流れをあらためて感じた日でした。

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